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やっぱり案じていた通り 毎年なら 朝 洗濯物を干していたり 猫の額ほどの
裏庭へ出ていたりすると 遠くから聴こえていたカッコウの声も
湯船に浸かっていると 静かな夜半をつんざくように鳴いていた杜鵑の声も
まったく聴けなくなってしまった。

料金所ができ 山を崩してループ状に何本もの高速道路ができ そこを車が
走るせいだ。

年中いて山から里を飛び交っているシジュウカラやウグイスの声はする。

渡り鳥の その時期にしか聴けない声だけがしなくなっている。

去年来て鳴いていたあの鳥たちは 無事に代わりの地を見つけられただろうか。

親から子へと伝える渡の地が今年は変わった事を どうやって伝えるのだろう。

高速道路の完成に合わせて 路面の傾斜地に植えられた木々は それなりに
芽吹き 柔らかな緑を見せてはいるが これらの木々に小鳥が宿るには
今はまだ細すぎる。

これらの木々が鬱蒼と茂り 渡り鳥が数日の羽休めに飛来することを夢みても
何年もの気の遠くなるような年月を待たねばならないだろう。

私自身これから何年生きられるか分からないが 渡る鳥たちの声を また
どうしても聴きたいものだ。

今日は金曜日
大学病院へ行く日だ。

十年一日のように代わり映えしない 痛みと共存の 希望のないような
私の生活だが 変わらないように見えても自然は静かに変わっていく。

この世界に 変わらないものなど何もないのだ と悲しく淋しく思う。

穏やかといえば穏やかな今の暮らしだが その先がどうなっているのか
考えるだに不安が募る。

マスクを縫いながら 本を読みながらも 心が晴れないこの頃だ。

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私は 簡単にベッド本体とマットの間に支え状のものを差し込めば
それで手すりになる と想っていたら 実際にはそんなに簡単な物では
なかった。

介護に際して 体を介助することが目的の手すりだから 当然といえば
当然だろうが ケアマネと一緒に来たレンタル会社の人が 車に乗せて
来たのは 前にレンタルして玄関のたたきに置いた 靴の脱ぎ履き用の
椅子の座面がない物で その代わりに ベッド側とL状になった部分も
手すりになった 頑丈な物だった。

金属が入った広めの底板をベッド本体の下に入れてのエル状だから
なおのこと 体重のある私がすがりついてもビクとも動くものではない。

付いた途端から 起き上がり立ち上がりが一人でできるようになった。

ケアマネは 我慢せずにもっと早く言ってくださればよかったのに と
言われたが 現状が少しでも楽になるように と そればかりを追って
しまうと 楽にはなれても 今度は普通に動かせる筋肉や骨が楽する事
を覚えてしまい 動かなくなってしまう。

年齢から考えても そのような事態は できるだけ先延ばしにしたい。

今日付けてもらった手すりにしても 本格的に機器の埋め込みが
無事に終わって その結果 起き上がり立ち上がる動作の痛みが
想っている以上に緩和したら 返そうと思っている。

体も心も 容易い方へ楽な方へ と向かいたがるが それに甘えて
しまっては 雪崩れのように気の張りが崩れる気がするからだ。

どうしても助けが欲しい 今のような時こそ 公の手を借りたい。

そんなことを思い それを言い訳にしながら 手すりを握りしめて
起き すがって立ち上がっている。

 

これまでは どれだけ痛みが強くあっても右腕や肘を使って ベッドから
起き上がれた。

ところが今はそれができない。
だから 情けないことに 居間にいる夫を大声で呼び 起こしてもらい
車椅子へ移動している。

夫が居間にいる時には起こしてもらえるが そうでないことも多いし
今日など夫は畑へ出かけていく。

そうなると寝起きすることすら困ってしまうので 今朝 時間になる
のを待って ケアマネにベッドの手すりをレンタルしてもらえるよう
依頼した。

結果 午後四時頃に レンタル会社の人と一緒に適当と思われる物を
二、三種類持って訪問する と先程電話があった。

介護認定を受けていたからこそ このような時に助けてもらえる。

たかが要支援の二では何にもならない という人もあるが
そんなことはない。

今回のように ちょっと助けてもらいたい事態になった時
直ぐに対応してもらえるのだからありがたい。

手すりがあれば 自力で起き上がって車椅子に乗れる。

さア 夫が帰って来るまで起きないでいられますように…。

私の手術日をくるわせた大学病院の精神科の医師たちに 憤っている と
前のブログに書いたが 書いたのには訳がある。

痛いから それを緩和したくて受けるはずだった手術だったのだ。
手術する と決めた時点で すでに神経根ブロックの効果が切れていた
からこそ思い切って医師が勧める新しい手術をしてもらうことにしたのだ。

それなのに 手術の予定日からゆうに一ヶ月を越えて 私の痛みは
今 マックスに近い。

最近 起床することさえ激痛を伴って大変になってきたのが 今朝は
とうとう起き上がれなくなってしまった。

起き上がる動作どころか 動作の一々に激痛が伴う。

こんな時のためにと 介護保険で特別にレンタルしてもらっている車椅子
への乗り降りからして激痛があるし 長く同じ姿勢が保てない。

本来であれば 今頃は痛みをコントロールする機器を埋め込む二回目の
手術をしているはずの時期なのだ。

それなのに 三人の医者が病院へウィルスを持ち込んだがために
こんな激痛を味わう羽目になってしまったのだ。

今日は朝から何も食べたくない。
夫が準備してくれた夕食もアジのフライを半分食べただけで 
もう痛みに耐えられず ベッドに横になっている有様だ。

三人の医師たちに悪態をつきたくもなろう というものだ。

明後日の受診まで この痛みに我慢できればいいのだが……。

金曜日の午前中 大学病院の麻酔科外来 と携帯に登録してある番号に
着信があった。

出ると それは担当医からだった。

中止になっていた手術が 来月の十五日からできるようになった。
ついては あなたの予定していて延期になっている手術を その日に
どうか という内容の電話だった。

手術室利用のリストの最初になっている とは聞いていた。

すでに何か予定が入っているのであれば十七日に変更可能 とも付け加え
られた。

が このような世情の最中 ましてや私のこと 予定があるはずもなく
わかりました よろしくお願いします と即答した。

夫は畑へ出かけていなかったが 相談するまでもない。

休止延期になった前回の入院に際して作った荷物が そのままになっている。
だから 私の側はいつだっていいのだ。

来月の十五日 病院内がどのようになっているのか 家族の付き添いや面会
や見舞いができるまでに落ち着いているのだろうか……。

今はそれすらわからない状態だが 手術ができるまでになってはいる 事は
確かなのだろう。

ようやくそこまでの見通しが立つまでに 院内の環境が改善してきている
のだろう。

痛みも気持ちも ちゅうぶらりんのオアズケ状態なってしまっている現在 
その状態の終わりを告げる 医師からの連絡だった。

軽率な精神科の医師たちに対する憤りが 手術して私の事態が変われば
その時には 消えるかもしれない。

久しぶりのブログだ。

外出せずテレビもあまり見ず このところ ただひたすらマスクを作って
過ごした。

娘と婿用に八枚ずつと 一緒に入れて送る用に孫二人に二枚ずつを
昨日作り終えて 宅配で送った。

長男宅は 以前に要るか聞いたら 市販の物があるからいい と言ったので
二、三日したら作り始めようかと思っている。

束の間痛みを忘れられるのと時間潰しにしている事だが
何十枚も作っていると それが楽しくなってきている。

ネットで 西村大臣が着けているマスクの形が話題になってきて
私も あの形も面白い と思い 最近はあの形のマスクを作っている。
娘と婿へも その形のマスクをそれぞれ二枚 他の形のに混ぜて送った。

実際に様々な形のマスクを自身でつけてみて あの西村大臣のマスクの形が
一番手間がいらず簡単に作れて なおかつ呼吸がしやすい。

これから気温が上がり暑くなってのマスクの着用は 息苦しくなる。

だから綿麻の混紡の生地を使い それではマスク本来の意味がなくなって
しまうから 間に不織布やさらしを挟み込んで縫い フィルターを入れて
使うようにする。

しばらくはこのマスクの形で 長男宅の分を作るつもりでいる。

例年ならこのゴールデンウイークは 東京から娘家族が帰省して長男家族も
一緒に 家族みんなでバーベキューをするのが 我が家の恒例行事だ。

それができない今年は 今日 夫と次男と三人でバーベキューをした。

ベランダに出すテーブルはいつもと同じだが 椅子は三脚だけ。
お肉や野菜も少ないからサイドテーブルもなし。

バーベキューコンロは 何年も前からあって使った事がなかった小さい物を
初めて出した。

三人だから とお肉はいい物にしたりして美味しかったものの
毎年大勢でワイワイ言いながらの雰囲気ではないからか イマイチ
盛り上がらない。

飲むことより食べることの方が優先して 夫など満腹になるや
早々に居間へ入って居眠りを始めた。

やっぱり バーベキューは大勢で話したり飲んだりしながらの方が
断然楽しい と再確認したような三人でのバーベキューになった。