FC2ブログ

腰痛が強くなっていること ひんぱんに小さな痙攣が左足に起こること
コントローラーの数字を上げると強いビリビリが背中にまで及んで
腰痛に効いているのかどうかわからないこと などを医師や業者に伝えた。

しかし業者は 前回の調整から五日目で はっきりした効果はまだ出て
いないから 次回の受診が医師の都合で二週間後になったことで
まずは次回の受診までは 元はこのままにしておき コントローラーで
対応してみてほしい と言われた。

体は不思議で 最初は不自然だったり違和感があったりしても しばらく
すると その状態に馴れてくるから もう少し気長に様子をみてほしい
要は そういうことだった。

それでも痛みが強いようなら 来週木曜日に予約なしで受診することに。

受診するのに二週間も間を置かなくてもよかったのだが ちょうどその日
は 叔母が入院する日に当たっている。

入院時の付き添いと 部屋が決まって最初の看護師の聴きとりや
栄養士との話し合いにできれば同席して 胃を全摘していることでの
家での普段の食事の仕方や しょっ中めまいがしたり ときおり強度の
難聴から起こる激しい耳鳴りに対処するのに ナースステーションに預ける
薬とは別に 手元に置いておきたい薬がある などなど 薬剤師も含めて
理解してもらい 入院中 対処してもらいたい事をしっかり伝えておく必要
がある。

叔母一人では 理性的に事をわけて漏れなく伝えることは難しいからだ。

こういう場合 聴き取れない ということは大きな障害だと 改めて思う。

病院の後 入院の荷物をまとめるために叔母宅へ行った。

行くと なんとか荷づくりをしようとしたらしいが 「やっているうちに
何が何やら 何をどうしたらいいものやら 分からなくなって」しまった
と言って 居間も寝室も物があふれ酷い有り様だった。

以前から「荷づくりは苦手 だから若い頃から旅行も嫌いだった」と
言っていたから 今回の入院に際しては 股関節が悪くて動けない事が
余計に 混乱を招いているらしかった。

あれもこれも要るのではないか と思うと 支度するのに あっちも
こっちもひっくり返したようになってしまって 終始がつかなくなって
しまった様子だった。

それを 必要な物をまずは書き出して 品物によっては持って行くのに
必要な数を考えて決め その上で順番に整えていった。

そして足りない物を書き出して 当日までに夫か私が買って届けること
にした。

これまでにも 入院が決まってから徐々に あれこれと必要な品を
整えてきたが 一ヶ月の長丁場の入院ともなると 不足品がある。

とにかくなんでも持って行きたい叔母を どうしても必要な物が
出てくれば その時にすればいいから と説得して ようやく
不足品を除いて 入院の荷物を整えた。

でも多分  入院当日になれば あれも持って行きたいこれも と
荷物はもっと増えることになるだろう。

荷づくりには性格が表れる と言うが それは本当だと思う。

これは経済的な貧富に関わらないことで むしろ思い切りがいいか
悪いか 物事を整理して考えられるかどうか の違いからくるのでは
と思う。

それと 馴れと経験 が大きい。

私のようにしょっ中入院したりしていると 絶対必要な物と
なくても困らない物の区別が 自然につくようになってくる。

まあとにかく 入院に際して一番の大ごとだった荷物作りが
一通り終わったから やれやれだ。

スポンサーサイト



今日は朝から雲のない秋晴れの 涼風が心地よい日だった。

痛みが激しかった時には 夜中に何度も目が覚めるものだから
朝起きるのが辛く ましてや夜中に強い痙攣が起きた朝などは起きられず
に 夫が出かける時もベッドの中だった。

それが 手術後は夜中に起きる回数が減ったからだろう。
朝 起きて夫を送り出せる様になっている。

必然的に洗濯する時間も早くなって 夫が出かける頃には もう洗濯機が
動いている。

空や空気の気持ち良さに釣られて今朝は 通常の洗濯の後 昨夜まで
着て寝ていた羽毛の肌掛け布団を干し カバーを洗い その後に
夫と私のこの夏着た服を六枚手洗いして すすぎと脱水を洗濯機でした。

おかげで今日は 洗濯の干し竿の全部が大活躍だった。

全ての洗濯物を干し終えると さすがに腰は痛みが戻る。

でも 前はこんなことすらできないで 一日一つが精一杯だったのだから
今は たとえ腰に痛みがきても 動けたことの嬉しさが勝って 充実感が
大きい。

相変わらず 機器からのビリビリは気のせいではなくて ますます強く
なっているし 日が過ぎる毎に埋め込んだ機器自体が動いて 今では
ウエストにかかるくらいまで上がってきている。

ビリビリが強くなったのは そのせいもあるのか とも思う。

明日はまた大学病院だ。

腰痛が強くなっていることと細かい痙攣が頻繁に起こる現状を説明して
医師や担当の業者に 少しでも解消できないか機器の微調整をして
もらうつもりでいる。

病院の後は叔母宅へ行き 叔母自身ではできない 入院に際しての
荷づくりをする予定だ。

来週の大学病院の受診が火曜日だとすると 入院の二日前になり
足りない物を補充する間がなくなってしまうから 神経質な叔母は
気をもむだろうし 私自身も焦らなくてもいいように 明日
荷づくりすることにした。

こんなことも 手術前だったら考えられないことだ。

動けるって 本当にありがたく嬉しいことだ。

先週金曜日の夕方 テリボン注射とリハビリを受けに かかりつけの
整形外科へ出かけた。

夏の暑いうちの外出は 夕方でもサンダルを履いていたが この頃では
履き慣れた靴を履いて出かける。

金曜日も靴を履いて出かけた。

その靴は 大事に履き続けてきた物だった。
それでも型崩れもしなくて むしろ外反母趾の足にしっくり
馴染んで とても履き心地のいい靴だった。

だから よほどの場所でない限りどこへでもその靴を履いて出かけた。

毎回三つのリハビリを受けるうち二つでは靴を脱ぐ。

金曜日 靴を脱いでリハビリ台に横になる際 脱いだ靴を何気なく
揃えようとして アッと初めて気がついた。

靴底のラバーが靴底からはみ出して 今にもちぎれそうになっている。

まさかこんなになっていたなんて!……

でも思い返してみると 買ってから十五年以上も経っている。
ここまで持ったことが不思議なくらいの年数 履いてきた靴だ。

さすがにここまで履き続けての壊れ様だから 諦められるというものだ。

体を悪くする前から ずっと私を支えてくれた靴
歩くことが大変になってからも 大きな転倒や骨折をすることなく
安定した底で踏ん張ってくれてきた靴

よく頑張ってくれた ありがとう。

ゴミとして捨てるには忍びないが 靴としての寿命を全うしたのだ。
思い残すことはないはず きっと靴の天国へ行くだろう。

「ありがとう」 感謝しながら廃棄した。

それにしても 脊髄置換手術をして痛みが軽減した途端に 
「私の役目は終わった」とばかりに壊れるなんて……。

まるで靴にも命があったみたいだ……。






 

昨夜 娘から 彼女の二人の子の内の下の子が 学校からラブレターを
もらって帰って来たよ と ビックリするような微笑ましいようなメール
が届いた。

それも A 4サイズの用紙六枚にもわたる大作のラブレターだというから
驚いた。

もらった孫は 七月に五歳になったばかりだ。

くれた子は同級の男子の新入生で 学内の様子が不案内だからと
担任に孫がお世話を頼まれていて どこへ移動するにも手をつないで行く
らしい。

メールには そのラブレターの写真が添付してあった。

孫は 日本でいうと年少から学校へ通っていて 英語も日本語も
それなりに読み書きができるから ジジババへも時々手紙を
書いてくれたりする。

だから きっとその男の子も孫と同じくらい書けて 思いの丈を
五才なりにつらつらと綴ってあるのだろう と思って写真を見ると
なんと 幼い手で アルファベットがランダムに 大小ビッシリと
書き連ねてある。

それも 六枚もの用紙の隅から隅までにだ。

きっと 彼の中には 日ごろ親切に面倒をみてくれる孫に対する
感謝や喜びや好意が あふれるほどあって その思いで心が満たされて
いるからこそのラブレターだったのだろう。

思いを 伝えたくて伝えたくて仕方がなかったに違いない。

見る大人には なんだか意味をなさない アルファベットだけを
単に思いつくままに書き連ねただけの手紙だが その男の子に
してみれば 長い時間をかけて 一心不乱に書いたのだろう。

そんなふうに想像すると 幼い男の子が 夢中で真剣に用紙に向かって
鉛筆を動かしている姿が目に見えるようで なんともいじらしく
微笑ましくてかわいい。

文字としては成されていなくても山ほどの思いがこもった 笑えるけれども
でも笑えない とても重いラブレターだ。

肝心の孫に そんな彼の気持ちが伝わったのかどうかは また別の話として。

なんと言っても 互いにまだ五才の幼児だから そこは双方の親同士が
子供たちの気持ちを大切に 見守っていくのではないか……。

小さな紳士淑女の可愛い逸話に ジジババもあたたかい笑みがこぼれる
夜になった。

天気も良くて 窓を開けて高速を走る車内へは 冷気を含んだ涼風が
入り込んでくる。

どれだけ残暑が厳しくても 季節は巡ることを忘れていない。

高速道路の両側は風に揺れるススキの穂波が続いていた。

多少コロナ騒動が落ち着きを見せはじめたからだろう
途中に立ち寄り休憩したサービスエリアは たくさんの車で埋まっていた。

県内のナンバーと半々くらいに県外ナンバーも多くて 中には水戸や茨城
大宮や神戸から来ている車もあった。

騒動の中とあって誰もがしっかりマスクをし 備え付けてあるアルコール
での消毒も自然な動作でしていた。

お墓に着いてみると 長くお参りに来ていなかった事を思い知らせるかの
ように 驚くほど雑草が生えていた。

小さな墓地だから 草が生えると言っても広さは知れていて
三人ですれば 十五分もしないうちにきれいになる。

ご無沙汰を詫び 大変だった手術を終えた報告をし 結果痛みが緩和した
ことの喜びを告げ感謝の念に首を垂れ 手を合わせた。

顔をのぞきたい数件の親戚や会いたい友人があっても 夫の運転で行く時
は こちらの思うようにはいかず とんぼ返りで帰宅した。

家のすぐ前に高速道路のインターができたおかげで いくぶん時間が短縮
されたから 運転する者の気持ちもその分軽くなったようだ。

次回の墓参は 行けたとしても年末近くなるだろう。

今日 花をお供えしてきたが その頃には茶色になってしまっているに
違いない。

悲しいことだが これもいた仕方ないことだ。

手術の後 大学病院やかかりつけの整形外科のスタッフから
明るくなった 楽そうになった とよく言われるようになった。

顔を見慣れている人たちだからこそ 手術したことで痛みが緩和している
のを知っているので 少しの変化が分かるのだろう と思っていた。

でも今日 毎月一度 福祉協議会が出している会誌を届けてくださる
民生委員の方が 今月号を携えながら訪ねてみえて
顔が明るくなられましたね と言われた。

月に一度 それも玄関先で話すだけの人なのに 顔つきが変わったと
思われたらしい。

それほど 以前は 暗いイメージで顔色が悪かったのか と 逆に
教えられる思いがする。

表には出来るだけ痛い痛いを出さないよう 自分なりに快活に
振る舞ってきたつもりだったが どうやらそれは自分だけの思い込み
で 他人様には痛みに耐えていることが丸わかりな顔つきを
していたらしい。

退院から一月以上経ち 気持ちも体も今の状態に少し馴染んできたのを
自身で感じられるようなった。

そんな私の様子を見てだろう。
「明日 実家のお墓参りに行こう 天気がいいみたいだし」と
夕食の準備にかかろうとしていた私に 夫が言った。

「休み休みなら 行って来られるだろう」と言うので 
日帰りで連れて行ってもらうことにした。

今年になってからは 春のお彼岸にもお盆にも お墓参り
どころではなくて ずっと行っていない。

季節的には中途半端な時期だが 連れて行ってくれる気持ち
のある時でないと またいつになるかわからない。

父母の墓前でご無沙汰を詫び 長く辛い手術を終えて
今は 日常生活上の絶え間なくあった痛みが緩和され 
他人様からも明るくなったと言われる事を報告してこようと
思っている。

そして連休が明けたら 今度は 友人に会って話す機会を
もてないか 連絡を取るつもりでいる。

きっと彼女らも 明るくなった と言ってくれるだろう。

東京の孫たちが通っている学校は 日本のそれとの違いが大きい。

教育内容はもちろんだが 学ぶ際の姿勢までもが違って 実に自由だ。

これで何が身につくのか と不思議に思う内容のこともあるし
へぇ〜面白い!と興味深く思われることもある。

そんなことの一つに「スターオブザウィーク」というのがある。

週の終わりに その週で一番頑張った子 様々な面で特に良く目立った
子を担任が選び みんなの前で称賛し ネット上のクラス紙に載せて
広く父兄にも知らせる。

このクラス紙は 日本でいう幼稚園の年少から高校三年までの各クラスの
一週間がどのようであったかを報告するために 学校がまとめてネットに
あげ 関係者であれば誰でも閲覧できる。

選ばれた子は クラス毎に決められて教室に置いてある縫いぐるみを
週末の間家へ持ち帰る特権が与えられ お出かけ先へ連れて行ったり
して 始終そばにおいて面倒をみる。

そして 次週の月曜日の朝 クラスメイトの前で一緒に過ごした週末に
ついて 撮った写真などを使いながら みんなの前で発表する。

そんなだから 子供たちにとって「スターオブザウィーク」に選ばれる
ことは誉れであり憧れでもある。

担任は その学年の間には必ずどの子も一度は「スターオブザウィーク」
になれるよう配慮はするのだろうが 新年度始まってすぐの週となると
かなり目につく行動だったり優れていたりでないと選ばれない。

そのスターオブザウィークに 今週末 孫が選ばれたのだそうだ。

母親である娘も 新学年が始まって第二週目だったから よけいに
嬉しかったのだろう。

マスコットと一緒にクラス紙に載った嬉しそうな孫の写真を送ってきた。

残念ながらそのマスコットがなんの動物なのか(子熊のようだが)はっきり
しないが 孫の満面の笑みだけでジジババは満足だった。

何にしても元気で 学校が楽しければ それだけで幸せなことなのだから。

積乱雲が小さくモクモクと空のふちにあり 見上げる天頂には
秋の薄い筋雲が広がっている……それがたった数日前の空の様子だった。

ところが今朝の空はどうだ  天頂近くに薄く鱗雲が流れているだけ。

ギラギラした夏のエネルギーそのもののような あの白い積乱雲は
もうどこにも見られなかった。

夏と秋がせめぎ合っていた空が あっという間に 秋色だけを映す
空に変わっていた。

庭では秋明菊の花が咲き始めているし かつての我が市は松茸産地
として知られていたから 今でも季節店が建ち そこへ買いに来る
人のため 最近では「松茸はこちら」の看板が出るようになった。

虫の音はますます高くなっているし エアコンも使わなくなった。

日々何も代わり映えしない生活を送る私の上にも もれなく確かに
秋は来てくれそうな気配だ。 



痛みが緩和したおかげで 来月に予定されている叔母の股関節置換手術前
の各種検査や手続きに 今日は朝から大学病院行きに付き添った。

先月のかかりつけ医からの紹介での初回の大学病院整形外科受診には
夫が仕事を休んで付き添った。

前に何度も書いているが 叔母は難聴の障害者なので 正しい聞き取りが
できない。

その上 最近は股関節の軟骨がなくなっていて 激痛が 歩行さえ
困難な状態にしてしまっている。

だから どうしても本人だけで受診したり一階二階と移動しながら
各種検査を受けることができなくなっている。

今日の医師の説明では 軟骨がなくなっている状態で無理をして動いた
結果 股関節内で細かい骨折までもがいくつも起こっており 手術しか
痛みをとる方法はない とのことだった。

医師の説明は実に丁寧で それでいて簡潔で こちらからの問いにも
しっかり答えてくださり とてもよく理解できるものだった。

診察前にした検査は レントゲン二種にCT検査 採血七本に心電図
呼吸器検査 リハビル室でのビデオ二本視聴 術前にする自己リハビリ
の仕方などなど 盛りだくさんだった。

その後 術前管理センターでの面接と説明があり最後に入院管理センター
で入院に際しての説明を聞き手続きをしてようやく会計を終え今日は終了。

本当は今日は この他に自己血の貯血をするはずだったが 様々な検査に
回っているうちに 本日の貯血の人数がまんぱいになってしまい
改めて金曜日に行くことに。

貯血するのに 人数に制限があるとは知らなかった。

金曜日には その貯血前に薬剤師と看護師との入院に際しての面談をする
ことになっている。

叔母は 次第に痛みが激してくるうちは 薬やマッサージ 注射や
安静にしていることで治せないか と考えていたようだが 事ここに
至って 医師に 手術しかない!とはっきり告げられて 内心では
渋々なのだろうが 手術するしかない と覚悟を決めたようだった。

九年前に胃癌で胃を全摘しているし難聴と激しい耳鳴り 片目の白内障 
酷いメニエール などなど そうでなくてもたくさんの体の不具合を抱え
ている叔母だから 八十を過ぎての大手術は心身ともに負担が大きいと
察する。

(そんな大きな手術なのに 要する予定時間は二時間なのだそう。私の
手術が要した四時間半は あれは一体どうしたことだったのだろう)

おまけに 叔母には頼れる家族がない ときている。
高齢になってのことだから なおさら様々に不安もあるだろう。

これまで 叔母に嫌おうなく関わってきた私たち夫婦だから
この状況の叔母を見て見ぬ振りは とうていできない。

幸い私も 手術のおかげで日常感じていた身動ぎの痛みは緩和している。
今日も 車椅子を押して歩くのは難なくできて嬉しかった。

夫ととも なんのかんの言わず できるだけのことはしてあげよう
と話している。

もちろん 無理はしないで。

次男が適応障害になって帰って来てから 早いものでもう二年近くが経った。

以来 私の病院通いや書道教室への送迎 たまの夫と三人での外食の他は
月に一度の自分の病院へ行く以外 外出しなかった。

ごくごく稀にコンビニや本屋へ行くくらいが精一杯だった。

戻って来た頃は心の痛手が深くて 一日中二階の部屋で物音がしないと
変な心配が先に立って 痛い腰を我慢してそっと階段を上がり 部屋の中の
様子を伺ったりしたこともあった。

私自身も様々に心が乱れて 眠れないこともあった。

前の会社での扱いや諸々が頭や心から離れないらしく 辛かった思いが
繰り返し繰り返し襲ってくる様子に 私たち親も心が痛んだ。

当時は夫や私への信頼感さえ薄れ 激して攻撃的な発言をすることもあった。

今思うと こんな最初の一年は 本人もまた親である私たち夫婦も 相当に
辛かった。

そのうち次第に それなりに本人が落ち着いて来 私たち夫婦にも
ドッシリとした覚悟のようなものが しっかり根づいてきたのだと思う。

その頃から 息子の顔つきが徐々に穏やかに変わっっていった。
笑うようにもなった。

そんな彼の様子に 病院や教室への送迎の際 二人で外食することが
度々できるようになった。

スーパーへ一緒に行ってくれるようにもなった。

ようやくここまで来たか と一息ついた頃 この春からのコロナ禍が
始まってしまい またもとの引きこもりのような状態になってしまった。

それで 容態が前に戻りはしないか と心配したが そうはならなくて
今では一緒にテレビを観て笑ったりしている。

そんな中 今月に入って突然「ハローワークへ行ってくる」と言い出した。

求人率 特に息子が携わってきた製造業の景気がコロナ禍のために一気に
落ち込んでいる時期だから 世の中がこんな情勢だし 慌てることはない
のだから それより身体を完全によくすることが大事だから と言って
思いとどめたが それでも息子はハローワークへ出かけて行った。

最初はアルバイトから始めて様子を見て心身を慣らしてからにしたら
と こっちは せっかくここまで良くなったものを また元に戻ったら
今度こそ もっと大変なことになりはしないか と内心で心配している。

でも 本人は どのような勤務形態で働くつもりなのか言わないから
分からないが 面接までしてきたようだ。

さすがに 一人暮らしは精神的に負担が大きいと自覚しているのだろう。
家から通える範囲で探しているらしい。

これまでのように愛知県で働けば 当県よりずっと賃金が高いので収入
も多いが アパート代や光熱費などを考えると 手元に残る金額は
大して変わらなくなる。

本人が自分で考えて踏み出した第一歩だから 私たち夫婦が
嬉しくないわけはないが 本当に大丈夫なのだろうか という不安も
大きい。

それでも ようやくここまで来たか という感慨も大きい。

まだまだ油断はならないが 二年経って初めて 
「明日は夕方から友達と会ってくるから 夕ご飯は要らないから」と
言ったのには驚いた。

息子が二階へ行ってしまうと 夫が 感慨深げに
「友達に会うなんて 二年ぶりだなあ……やっとだなあ……」
と ボソッと呟くように言った。

ほんの少し明けかけ差し込んできた一筋の光が どうかこのまま
あふれるほどの光になりますように……

手放しで喜ぶにはまだ早い ついつい浮かれたがる気持ちに そう
言い聞かせている。