FC2ブログ

生まれてからこれまでの人生で どれだけのことを学んできたか・・・と考えるとき
誰もが 学ぶには学んだが それは 自分が見聞きし 己が生きてきた範囲での
学びにすぎない ことに気づく。

だからこそ 見聞を広め人間の幅を大きくすることが大切になる。
でも よく言われるこのことを どれだけ真摯にとらえて 人は生きているか・・・。

突然だが 誰だったか演歌歌手の歌に 山 という歌があったと思うが たしか
人生を山に例えていた と思う。

同じ意味で山を歌っているかどうかは はっきりしないが このブログを書き始めて
人生は山に等しい と この歌を思い出すとともに 思った。

生ききった時の 人生という山の高さや形 緑の多さ
そこに その人の生き様が投影されているのではないだろうか。

どれだけ幅広く生きたか どれだけ人のために生きたか
どれだけ他人との付き合いに心を砕いたか 独善的な生き方をしてこなかったか
そして どれだけ生きる努力をしてきたか ・・・

それによって 山の高さが変わり 険しさが変わり 植栽の種類も変わる。
もちろん この場合 山は高ければ高いほど その人が懸命に生きた証になるだろう。

しかし 山の美しさは 高さだけではない。
鋭く屹立する不毛の山ではなく 裾野をなだらかに優美に広げる緑の山
これもまた 美しい。

裾野の広がりは 己の思いだけでなく他人との交わりや本などから
多くのことを学びとらえて生きてきた証だからだ。

他人を思いやる深い心からは 当然そうあるであろう 言葉や行動が発せられる。
それが いわゆる 常識 と呼ばれるものではないだろうか。

他人との交わりを軽視する人生を送ると 学ぶ機会を逃して生きる。
交わっても 己の思いが強くて 他者の考えや思いに心を馳せないと やはり 学びは浅い。

他人の心を察しない生き方は 潤いのない川のようなものだ。

そうなると 自分の常識を常識として生きてしまっていることにすら
気づかないで 生きてしまう。

この歳になると 悪い意味で ああこの人は こういう人生を送ってきたんだなあ と
思わざるを得ない事柄に出くわす。
もちろん ああこの人はいい人生を生きてきたんだなあ と感じさせる人との出会いも多いが。

大口を叩けるほど 誇れる人生を送ってきたとは サラサラ思っていないし
他人からは なんて人! と 私自身思われているかもしれないが
そんな私でさえ 自分の常識は自分の常識 で通してはばからない人に出会うと
この人の山はどんな形か・・・ どれほどの高さか・・・と
想像してしまう。

生きた果ては 姿よく高く 広い裾野を持つ 全山緑の 美しい山になっていたい。

そう思わせることが 今日あった。




スポンサーサイト



次男が帰って そして諸々

ヤッパリ遠くにいてはダメ

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿






trackback iconトラックバック ( 0 )

Trackback URL:

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)