FC2ブログ

夕ご飯の準備で台所に立っていると 電話が鳴った。

私は手が離せなかったが お風呂から上がってテレビを見ていた夫が出た。

昔 夫が僻地勤務の折 お世話になった校長先生の息子さんからだった。
校長先生が亡くなった という知らせだった。

三人の子供を連れて赴任した時 夫が三十代半ば 私は三十を少し過ぎた年齢だった。
長男は三年生 次男はまだ二歳 娘はそこで入学式を迎え一年生になった。

初年度は 家族が多くて家族用宿舎でも狭い と空き家になっていた近くの民家を
その年の校長が 借りてくださった。
赴任前に夫が挨拶に行った際のことで 私たち家族は それがどのような家なのか
知らずに 大方の家財は実家に預けて 必要最小限の家財をトラックに積み込み
赴任先へ向かった。

それまで住んでいた所からの道のりは 長かった。
トラックの後を行きながら まだなの? まだ着かないの? と何度も夫に尋ねた。
ようやく着いた家は エッ ここ?この家なの? と口をついて出るほど 古かった。
その家での生活が始まったが 四月の初めというのに 吹き込んだ雪が廊下に
四十センチも積もり 日が照ってくると 押入れに片付けたばかりの布団の上に
水溜りができるほど雨漏りがした。

それほど古い家だったからか 普通では考えられない事なども起こり 私の心は
次第に弱くなり 暗くなっていった。

そんな私を救ってくださったのは 新しく赴任された校長先生と奥さんだった。

ここに居ては奥さんも子供達も病気になる と家族用の宿舎の一つを空けてくださり
入りきらない家財はまた実家へ預けて 急きょ宿舎へ移った。
奥さんと校長に救われた思いがした。

それからの二年の任期の間 お二人には 公私ともに本当にお世話になった。
夫は 職場だけでなく 当時はまだ許されていた父兄や地域の人達との飲み会や
お祭りにも招かれて 校長先生と一緒に飲み歩いたり 私は私で 奥さんに和裁を
教わったり 季節のいい晴れた日には 二人で遠くまでおにぎりを持って歩いたり。
我が家の三人の子も 祖父母のように接して可愛がってくださった。

土日になると 私たち家族は実家へ帰ることが多かった。ご夫妻もまた 高山の家へ
帰られたが 冬の雪深い時期には早めに戻られて 夜遅く帰ってくる私たちが心配で
私たちが宿舎に帰り着くまで 寝ないで待っていてくださった。
まるで親のように 私たち家族を慈悲深く見守ってくださった校長先生と奥さんだった。

三年の任期を終えてその地を離れてからも 家族のような交際が続き 実家へ行った時や
春休み夏休み冬休みになると 必ず訪ねてお二人に会い お元気な様子を喜んできた。

夫が校長になった後に伺った際には
おい お前も校長だろう もう俺を校長先生なんて呼ぶなよ
と 冗談を言いながら夫の昇進を喜んでくださった。

あの 父親のように優しかった校長先生が 亡くなった……
お歳だったとはいえ 去年伺った時には それまでと変わらないご様子だったのに……

お通夜は月曜の夜 葬儀は翌日の火曜日
お通夜は無理だが 火曜日の葬儀には夫と二人 是非とも行って最後のお別れをし
悲しまれているだろう奥さんにもお会いして来るつもりだ。




スポンサーサイト



本数は増えたものの……

無呼吸症候群から?

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿






trackback iconトラックバック ( 0 )

Trackback URL:

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)