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我が家の畑には 伊自良大実柿という種の渋柿の木が 八本あった。
それに 去年 義弟から譲られた土地続きの畑に植わっている木を合わせると
渋柿の木は 十三本にもなった。

ところが 後からの木は樹齢は同じなのに 義父が亡くなって以来 手入れが
されていなかったから荒れ放題で 太いツルが根元から枝先までビッシリと絡みついたり
大事な幹に腐りが入っていたり かなり傷んでいるらしい。

だから夫は 最近の土日は 今まであった木の枝打ちや肥料やりだけでなく 後からの
五本の世話に 朝から遅くまでの大部分の時間 かかりっきりになっているらしく
疲れきって帰って来る。

手入れをしないとそんなにもに違ってしまうのか と 夫の話を聞く私は驚いてしまう。

もともと樹齢が百年もの木たちだから 肥料をやって力を付け 枝も剪定してあげないと
木たちは いい実をつけてはくれない。

夫は 絡みついている蔦を根気よく切っては剥がし 根っこを掘り起こした。
文にすると簡単なようだが 長年放置されていた蔦は 夫の拳ほどもの太さになって
いたらしく 根もそれなりに太く深く伸びていて 掘り起こす作業は大変だったようだ。

だから この木一本の世話だけでも 一日では終わらない。

伸び放題の枝にしても 剪定するのは大変だ。
あまりの酷さに夫の根気も切れて 五本とも枝を背丈くらいに切ってしまったそうだ。
そうなると 今年や来年の成りは 期待できない。

こんな五本の木の有様は 隣で作業してきたのだから 夫の目に入らなかったはずは
ない。自分の方にある木を手入れしながら 夫はそれをどんな思いで見てきたのだろう。

農家の長男として生まれた夫だ。
折にふれて 祖父が植えたという渋柿の木のこと 手入れの仕方など 父親が話すのを
聞きながら 枝打ちやその他の作業を教えてもらったり 夜なべでする皮むきを
手伝ったりしながら 物心つく前から これらの渋柿の木に親しんできた。

なにせ夫が子供の頃は この渋柿で作った干し柿を売って得られるお金だけが
冬の間の唯一の現金収入だった というから 家にとってなくてはならない
なによりも大切な木だった。
だから 夫は口には出さないが 渋柿に対する思いは人一倍深いと分かる。

夫の実家には この十五本の他にも 離れたところの畑にはまだまだ同じくらいの数
の伊自良大実柿の木があるはずだが 義父母が亡くなってからは 夫がその畑へ
足を運ぶこともなくなり どうなっているのか分からない。

去年夫は 義弟から地続きの部分の畑を譲る話が出た時 今の年齢でこれからの年月
果たして畑仕事を続けていけるかと悩んでいたが 貰おう と決めた心の中に
手入れされないままの五本の渋柿の木があったことは確かだろう。

家を継いで 仕事に就きながら農業もやっていくもの とばかり承知していたところへ
思ってもいなかった義弟からの 俺が家へ入って農業をやる という言葉があったのは
私たちが結婚して一月もするかしないかの頃のことだ。

当時の私は 式の前に二度の交通事故に遭って傷つき 心身ともに結婚という
晴れがましさからは遠いところにあった。
その二回ともが 夫と義母が運転する車の助手席に座っていての事故だった。
義弟が家に入る云々は 私の入院中に持ち上がった話だった。

その後 義父母と夫と義弟の四人で話し合った結果 義弟が結婚して家へ入り私たちは出る と
いうことに決まった。

本心では 義父母は夫に継いでもらいたかったに違いないが 義弟の強い申し入れに
自分が就いた職業が忙しいから 家を継いでも家業の農業は中途半端になる と考えた夫は
そうなるより 弟が農業をやると言うのだから弟に任せた方がいい と思ったらしい。

その数ヶ月前 嫁ぐときのこと
この地方の婚礼の派手さを見聞きしていた私の両親は 大きな農家の長男の嫁として
嫁ぐ私を想って 年を経て古くなっている道具を使っていて壊すようなことがあっては
さぞかし姑に叱られたりして私の居心地が悪かろう と 嫁入り道具の中に 大中小の
いくつもの笊まで わざわざ笊作りで有名な地区の名人に誂えて 持たせてくれた。
布巾や雑巾でさえ 私が死ぬまであるだろうという枚数だった。
農作業で使うエプロンや手袋の類いのものも何年も買わなくてもいいように
長靴までもを何足も調えてくれた。
着物なども どの引き出しも出し入れが無理なほど たくさん作って持たせてくれた。

そうして調えてもらった嫁入り道具と一緒に 私は夫の実家へ入ったのだった。
当時 嫁入り道具を見に来た近所の人たちには どんな物を持って来たかを見てもらう
荷披露なるものが慣習としてあり 私がいない間でも 義母は 全ての荷物を解き
箪笥の引き出しという引き出しを開けて 着物も ものや柄ゆきが分かるように
全部をたとう紙から出して広げ 披露したらしかった。

そこまでしたものを出す形になったことで 義父母は義父母なりに思うところも
あっただろうが 私は私で 農家に嫁ぐ娘が恥をかかないよう 笑われないように
周囲や親戚から誹られることがないように との親心で 精一杯の支度をして
出してくれた両親の気持ちを考えると 早々に出ることになってしまった時は
複雑な思いをした。

でも それ以後の年月にあった様々なことを思えば 諍いをしたわけでもなく
出る形になったことは それはそれでよかった と後々も今もしみじみ思う。
夫の実家を離れたおかげで今の生活がある と思っている。

今夜 夕飯を食べながら夫が話した渋柿の木のことから 遠くなったあの頃の
出来事など 心の深い襞に埋もれ今では忘れてしまったようになっていた
細かな事までもが浮かんできて 辛かったあれこれの思いがよみがえってきた。

長くなってしまったが そんなことはさておいて
渋柿の木にかける夫の思いを想うと 畑へばかり行かないでもっと家にいて とは
なかなか言えない というのが私の本音だ。




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大衆物を読むのも無駄じゃない

また 訃報が……

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