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今夜でオリンピックが終わった。

毎回オリンピックがあると 国民性だとか国別だとかの言葉がマスコミに何回も登場し
競技でも 特に日本と韓国が関わる試合になると 日本側はそれほどでもなくても
韓国側は日本を強く意識して 毎回応援もヒートアップする。

そして 他国と競争する意識がなくても 日本人が出場すると 当然のことに日本人を
応援するし 勝てば我が事のように喜ぶ。
そして 頑張る選手の姿を見ながら 改めて 自分が日本人だ と意識する。

これは おそらくどの国の人も同じなのではないだろうか。
身びいき と言う言葉があるが 者であれ物であれ 自分に近しければ近しいほど
親しみを感じるし 応援したくなるのは世界共通のことだろう と思う。

日本という国や自分が日本人だ と強く意識するにはオリンピックの時だけではない。
私のような平凡な人間が 自分が日本人だ と思うのは 海外へ行った時だ。

外国へ行けば当然私たちは外国人の立場だから 五感で感じるものの全てが異質だ。
そして 自国の良いところにも悪いところにも 気づかされる。
そうした時 やっぱり自分は日本人だ と痛感する。

このように 日本人だ と感じたり思ったりすることは なんでもないことのようで
とても大切なことだ。
大げさに言えば これは自らが自らに認める身分証明書のようなものだからだ。
これがなくなると 自分がよって立つ場所がわからなくなり 存在する場所を失う。

話は離れるが 娘の二人の子は 父と母の国が違うから 二つの国籍を持つ。
彼女らには よって立つ場所が二つある ということだ。

それを彼女らが一番認識できるのは 言葉だ。
今はまだ幼いから自覚はないが それでもすでに二人は 家庭の中に二つの言葉が
存在していることを理解していて 父親との会話は英語で 母親とは日本語で と
無意識ながら区別している。

これはとても重要なことだと思っている。
娘も同じ考えで 上の子がすでにそうなのだが 通っている学校が終始英語 家でも
父親とは英語 父親と母親との会話も英語が多い となると 日本語に接する機会が
極めて少なくなってしまう。
そうなると 脳内の全てが英語で占められてしまい 日本人としての部分が 次第に
失われていく。
そうならないためには 日本語をしっかり習得することが必須になる。

そう考えている娘は 日本語を正しく習得させるために この春から 国語だけを
しっかり学習させようと 塾へ通わせる予定でいる。
そこで学ぶ子供達は当然日本人だろうから 日本の子供とも接触させ なおかつ
正しい日本語も身につけさせたい思いがあるからだ。

娘が 我が子に正しい日本語を身につけさせたい と考えるのには 遠因となるものが
一つあるのではないか とも思う。

それは 彼女自身が 高校生の時にした留学体験だ。
娘の留学は 世界的な規模の機関を通してだったからだろう。
実際に留学するまでは 決まってからの一年間を 留学するに際しての心構えは勿論
自分が何者であるか何のために留学するのか 留学先で自分を自分でどう支えるのか
など 自分を見失わないための いわば訓練が徹底的になされた。

この訓練は 子供だけでなくこれから我が子を留学させようとしている親にも行われた。

さらに この機関では 留学の期間は一年間 と決められていて 一年が過ぎたら
必ず帰国しなければならなかった。その後引き続き留学先の国や他国の学校へ行きたく
てもだ。
そうでないと 若い高校生は留学先に同化してしまい 日本人であるという意識や
物の考え方 認識の仕方が なくなってしまうからだ。

そうした自身の経験からも 娘は 我が子には英語と同様に日本語もしっかり
身につけさせたい思いがあるのではないか…と私は思っている。

私は私で やっぱりその思いが強い。
言葉以外で 日本や日本人を一番意識できるのは 食事の作法 特に箸の持ち方使い方
と着物だ。
特に民族衣装の着物は 日本人には欠かせない物だ。
だから 折に触れて着物を着る機会があれば 着せている。

英国人であると同時に日本人でもあるのだ と成長するに連れて 二人の孫には
意識してほしいし その上でどう生きるか を考える人間になってほしい。

テレビでオリンピックを観ながら そんなことにも思いをめぐらしたことだった。








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