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叔母の葬儀は 従兄弟から 「家族葬だから」と言われていたが 彼の二人の姉妹と それぞれの
連れ合い そして彼らの子供たちとそのまた子供たち それに 従兄弟として連絡をくれた三人と
私と一緒に行った叔母 それだけで 集まった人がなんと四十人にもなった。
孫もだが 亡くなった叔母からするとひ孫がたくさんだったからだ。

喪主を務めた従兄弟には 三人の子に 計八人もの孫があった。
あまり幸せとは言えない幼少期を送った従兄弟だったが いい連れ合いに巡り合い いい子供たち
とたくさんの孫に囲まれて 実に堅実で柔らかく暖かで 優しい愛情が通い合っている家庭の主人
になっている。

その従兄弟が喪主になって 叔母を逝った。

葬儀の最後に 棺の蓋を取り 参列者みんなで棺を囲み お花を入れる時が来た。
葬儀会場の司会進行した女性が 従兄弟と彼の姉に 「どんなお母様でしたか?」と優しい声で
問うた。
二人は「山あり谷ありの人生を頑張って生きてきた人だった」「苦労の多い人生だった」と
言葉短く答えた。
孫たちにも 同じように問うと「厳しい人だった」と誰かが答えた。
ひ孫たちにも問うと 彼らは「・・・・・・ 」と 二十歳を筆頭にみんな無言だった。

その時になって 私ははたと思い至った。
答えられないのも最もで ひ孫たちが生まれ育った今日までの期間のほとんどを 叔母は
施設で過ごしてきたからだ。
だから 中学生のひ孫は「今日初めて顔を見た」と小さな声で 私の隣でつぶやいていた。

そうなのだ。
たくさんのひ孫があっても 元気でいなければ その彼らの存在さえ知らずに 顔も見ないで
逝ってしまわなければならない。
体はどれだけ悪くなっても 頭だけはハッキリして老いていかないと・・・・・・。

九十七歳で逝った叔母だったが 七十代で認知が出 グループホームに入所。
以来 施設をいくつか変わり 最後の短い期間 九十七歳の最期を病院にいて逝った。

私から見た叔母は 自分だけの幸せを求めて自由奔放に生きた人だった。
行動も言葉も そこから生まれるものだった。

父もそうだったが叔母も 最後は認知になって 過去のことはすべて忘れて生きた。
認知は 周囲の者は大変な思いをするが 本人にとっては 一番楽な生き方なのかもしれない。

そんなことまでをも思わせる 叔母の葬儀だった。

逝った顔は 一つ上で仲の良かった私の父に 実によく似ていた。

今ごろは 早くに亡くなった母親と 父親やたくさんの兄妹が待つ処へ行くべく
現世での子供たちやそれにつながる孫やひ孫の幸せを祈りながら 巡っていることだろう。

叔母さん あの世で私の父母に会ったなら **子は幸せに暮らしていたよ と伝えてくださいね。
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さすがに・・・・・・

車椅子が決まった

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