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 今も田舎の旧家では 伝統が守られて 続けられているが
子供のころ 私の家の本家でも 初冬になると 毎年「ほんこ様」が行われた。

 「ほんこ様」とは 報恩講のことで 飛騨では 「ほんこ様」 とよんでいる。

 本家の 幾つかの続き座敷の境の襖を外して 大広間の座敷にする。
 その周りには 江戸時代から本家に伝わっている 飛騨の学者であった
田中大秀の筆になる 三曲だったか六曲だったかの 大きな屏風を何双も立て回して
正面には 一間幅を超えるきらびやかな仏壇に燈明が明るく灯されていた。

 この行事には 先祖からの遠戚の主から 現在の親戚筋までの
大勢のおじいさんやおじさん方 代理のおばさんやおばあさん方が
紋付姿で訪い その末席には 私たち孫も連なっていた。

 お坊様が到着して 小座敷で衣紋を着替えた後 お経が始まる。
子供には そのお経の長かったこと!足が痺れてたまらなかった。

 お経が終わると いよいよ銘々に高足膳が運ばれ 食事となる。
 お運びは 母や親戚のおばさんたちだ。
 親戚の女達は この日のために 何日も本家に集まって料理を作っていた。

 われわれ子供たちも 大人の中で 緊張しながら膳についた。
 座敷には この時以外 われわれ孫たちは入れなかったから 
あまり知らない遠戚の怖そうなおじいさんやおじさんの前で 緊張して正座した。
 
 黒漆の高足膳の上には 輪島塗のお椀や伊万里の皿などが並んでいた。
 中でも 中皿には 大きく切ったコンニャクや人参、春に採って干して保存してあった
わらびやぜんまい、飛騨のコモ豆腐などの煮物が盛られていた。
このお皿のモノは お膳の傍に配って置いてある 二三枚の これも秋に前もって準備された
ホウの葉とわらしべで 宴が終わって帰る時に それぞれが包んで持ち帰るのだ。
 持ち帰る品物の中には 白と黄色の大きなお饅頭の箱もあった。

 伯父の挨拶のあと 子供たちが待っていた食事が始まる。
 大人たちは お酒も入り 歌なども出て 皆でそれに合わせて手拍子を打ち
賑やかな宴が続いた。

 この「ほんこ様」の光景は 座敷の周りに立てられた 背の高い筆文字の屏風や
大根をさいの目に切って具にした味噌汁の美味しかったことなどと一緒に
子供時代の 忘れられない思い出である。
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