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日本は 無茶に始めた第二次世界対戦で完敗し 人も物も 文化さえもなくした。

喪失感や虚無感にひたる間も無く 今日を食べるために生き延び
気づけば 国民総生産が世界一になって 誰もが浮かれ
バブル と呼ぶ時代をむかえていた。

その頃になると 評論家が「国民総白痴」と名づけるほど
日本中が 自分たちの元々の軸を見失っていた。

そして バブルがはじけ 夢から覚めた浦島太郎のように
今 ようやく 日本人とは 日本人の暮らしとは どうあるべきか を
考え始めたように思う。

それも そのきっかけは 海の向こうから投げかけられたものだ。

それは 戦前戦後 バブルの時期も 絶えず あるいは それらの時代を経たからこそ
いっそう磨かれた「食」や 「 旅館やホテルなどの職業としてのサービス ふるまい」が
初めにもたらした。

この二つには 変えようがない「日本の文化」があったからだ。

しかし 戦後七十年も経った現在だから
いくら 文化の高さや日本人が誇りとしてよい気質 を マスコミが声高に叫んでも
実際の生活は にわかには変わらない。

伝えられてこなかったがために「日本の食」は 若い人たちの食卓からは
遠い存在になってしまっているし 「ふるまい」にしても然りだ。
食やふるまいだけでなく 「 衣 」 もそうだ。
今は この国本来のものが 日常から遊離した 特別なもの になってしまっている。


食の貧困 殊に 子供達のおかれている状況を憂慮する人たちが
最近になって 一人二人と 活動を始め その輪が広がりつつあることを
報道を通して知った。
でも 私たち日本人の全てが 日本人とは の答えに落ち着くまでには
まだまだ長い時間が必要だし 国民の総意となるような答えを導き出すのも
これもまた 困難なことである。



浮かれた時代 は 日本だけではなかったらしく
今 世界の いわゆる先進国は 目覚めてハッと気づいたように
反動で 自国の保護へと 流れ出しているようだ。

自国の良さや利を守りつつ 他国の良さや利を認めて付き合うことは
とても難しいことだ。


我が家は バブルにも景気のよさにも 遠く離れたところで生きてきたように思うが
今 経済的には 確かに生き辛くなっている暮らしがある。

日本が世界が これからどうあるべきなのか どの方向へ向かうべきなのか
この我が家の暮らしも その判断に左右される砂つぶの一つなのだろう。

孫たちが成人したころには 「自国の保護」「グローバル化」などという
言葉すらなくなって 世界中が一つになっていてくれたら どんなにいいだろう。

他国の人を家族に迎えているからこそ 日本についてもその文化についても
世界についても 他人よりは 考えさせられる場面の多い 私だ。




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